
仙台市内は若葉の新緑が美しい5月を迎えました。前月の4月末には、震災から49日が経ち、宮城県が「震災復興キックオフ・デー」を宣言しました。市内は東北新幹線と仙台市地下鉄の全線復旧による通常運転の再開、東北楽天やベガルタ仙台の勝利に大いに沸きました。震災による犠牲者を悼み、甚大な被害に心を痛めながらも、この日が私達にとって、前向きに歩み出す転換点となるのでしょうか。
3月11日の震災で、仙台市は震度6強の宮城野区、6弱の青葉区・若林区・泉区、5強の太白区の揺れを記録しました。死者613名、行方不明者210名、負傷者約2200名余り。東部沿岸地域の津波被害と、全市にわたりライフラインに甚大な影響を受けました
。
私は地震発生以来、青葉区内の被災地域や地元の避難所などで、多くの皆様から復旧作業等の要望や生活再建策についてご意見やご要望を頂いてきました。また消防団の一員でもあるため、市内若林区荒浜、藤塚、下飯田地区における人命救助・捜索活動に参加する機会を得ました。また想像を絶する被害が広がる南三陸町志津川、女川町、石巻市内など、各地を歩いて調査する機会を得ました。
まず私が感じたこと。それは地震被害と、これに加えて津波被害を受けた地域の差が大きく、被災した方々の心理的ダメージが想像以上に深いということです。
地震もさることながら、津波により愛する家族、財産、思い出、平和な日常を瞬時に失った被災者にとっては、復興を呼びかける通り一遍のスローガンは虚ろに聞こえ、喪失感や虚無感につながります。「頑張ろう」「立ち上がろう」の言葉には、その奥に深い受容の意図が必要であり、心に受けたダメージに対する配慮が必要です。
1カ月を過ぎたあたりから、メディア側の特にテレビの取り上げ方にバラつきが見られ、表面的な報道にとどまるものなどに戸惑いを感じます。洪水のように大量な情報を日々受け取る現代の私達に、被災者に寄り添った、隣人としての優しさや思いやりが問われているのかもしれません。
そして今日を生きる私達に求められていること。高度の情報化社会を確立し、文明社会を突き進んできたはずの私達の前に、死者行方不明者が25,000名に達する自然災害がある日突然、現実に起こるということ。そしてこれほどの犠牲者を前に、私たちは必ず多くの教訓を得なければならないということです。
今回の災害が想定内か外かを問うのではなく、今日の政治・行政に関わる人間として、被害に対する想像力の欠如、予防策の不充分さ、復旧対策の不備など、広範な領域で重く責任を感じる取る事が求められています。そしてこの教訓を、確実に未来に活かすための取り組みが、具体に求められていると感じます。大震災を免れなかった私達の真価が問われるのは正にこれからなのです。
かつて、オランダ中央部のハウテン市の街づくりを学んだことがあります。「自転車の街」として知られるこの都市は、住民の約45%が自転車、25%が徒歩で日常生活をしています。1960年代の国の住宅開発政策から生まれたこの街は、適度な利便性と抜群の住宅環境、そして住民の意見を尊重する街づくり両立させ、今や全世界から注目されるエコ・タウンです。何より素晴らしいのは、住民が我が街を誇りに思い愛していることです。
このように、私は住民の誇りを基にした次世代型の新しい街づくりは可能だ信じます。そのためには今回の災害を教訓に、地震、津波など災害対策に優れ、現代の少子高齢化、人口減少など社会現象に対応し、代替エネルギーなど環境問題に配慮して、住民相互のコミュニケーションを考慮するなど、多くの課題に取り組む必要があります。また同時に、私達のライフスタイルそのものも概念から見つめ直す必要に迫られています。次世代に向けて我が国らしい、そして仙台らしい街づくりとは何か・・・これからも考え、追い続けて参ります。私はそのためのキック・オフにしたいと思います。

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